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 正宗太極拳について

正宗太極拳は、戦前、当時の中国の首都、南京にあった中央国術館という国立武術学校で副館長を務めていた、陳伴嶺(ちん・はんれい)が中心になって、各派を研究し編纂した太極拳が元になっています。

陳伴領

この太極拳は、九十九の動作で構成されており、九十九式太極拳、九九式太極拳、中央国術館系太極拳、双辺太極拳、正宗太極拳などと呼ばれ、日本には戦後、昭和33年(1958年)、台湾の王樹金によって伝えられ、主に正宗太極拳の呼称で普及しています。
私が学んだ太極拳も王樹金の伝系です。

王樹金

ちなみに王樹金は、一説によるとこの太極拳の編纂にも関わったとされていますが、実際のところは私には判りません。
私は若い頃、王樹金は陳伴嶺の弟子だと聞きましたが、陳伴嶺が1940年代に著したとされる『太極拳教材』という本の中では、記念写真のようなものに王樹金も一緒に写っています。
しかし、王樹金が中央国術館の一員として写っているのか、また、どこまで関わったのかは、判りません。

ところで王樹金という人は、現在では有名な拳法家の一人なのですが、私が若い頃には日本ではあまり知られていない印象でした。
日本の中国拳法ブームは、まずブルース・リーによってもたらされましたが、その後、松田隆智という武術研究家が数々の著書を著し、またそれと平行してジャッキー・チェンによる第二次香港映画ブームがあって、一時は爆発的と言っていいほど、中国拳法に興味を持つ若者が増えました。私もそんな中の一人でした。

松田隆智さんの本が売れ、彼を持ち上げる武術雑誌なども刊行されるようになって、日本における中国武術は、彼が紹介した拳種や流派を中心に認知されて広まりましたので、王樹金系統の太極拳はマイナーなイメージでした。
例えば当時、中国拳法をやっているという人に出くわして話をすることがあっても、王樹金という名には「誰それ?」という反応がほとんどだったように記憶しています。まして陳伴嶺などなおさら無名でしたし、正宗太極拳(九十九式)自体、武術雑誌にも長らく取り上げられていなかったと思います。

私自身も、最初は松田隆智さんが広めたような中国拳法をやりたいと思っていましたが、当時はまだ武術の道場・教室があまり無く、たまたま雑誌の広告を見て全日本中国拳法連盟に問い合わせの電話を入れたのがきっかけでした。
そして最初は、ちょっとばかり冷やかし気分で覗きに行ったのが始まりです。

けれど私は、この太極拳はよく出来ていると思い、すっかり気に入ってしまいました。
この太極拳は、太極拳各派を研究して取り入れ、太極拳と共に“内家三拳”と呼ばれる形意拳八卦掌を、上手く統合してあります。
そもそも拳法はどれも、あれこれ学ばなくても一つの流儀で充分なはずです。
他派を学ぶにしても、別々のものとして別々にやり続けるのではなく、自分が中心とする流儀に取り入れてまとめるようにしなければ、いざというときにうまく使えないでしょう。
その点、この太極拳は、形意拳、八卦掌をうまく包括的に取り入れています。

さて、中国武術の世界では、幾つもの拳法を併習する傾向がありますが、幾ら基本が共通であっても、戦闘スタイルの違う拳法を幾つもやるのはどうでしょうか。
例えば、ボクシングと空手を同時に習ったとすれば、一見似ているようでも混乱するでしょう。
どちらかをある程度修得してから学べば、何か気がつくことはあるにせよ、いざ戦うとなれば、どちらかのスタイルがメインになるため、必ずしも併習するメリットがあるとは言えません。
しかし最初からボクシングのスタイルを取り入れた流派の空手を学ぶのであれば(それがいいかどうかはともかく)、少なくとも修得上の混乱は無いでしょう。
このように、幾つもの流儀がミックスされていても、一つの流儀の中にまとめられていれば、それは一つの流儀を学ぶのと変わらないので、修得しやすいわけです。
その意味で、あれもこれもというのではなく、洗練されたかたちに仕上げられているのがこの太極拳なのです。

 

当流儀について

当流の太極拳は、正宗太極拳に、故・西郡多喜雄師範が学んだ他の中国武術や日本武術の技や術理が加味されています。
なので、同じ正宗太極拳でも、他流他派でやっているものとは、かなり違った印象を受けると思います。
さらに言えば、目指していることも違います。
例えば、同じ正宗太極拳でも、ある団体では“脱力”に重きを置いていて、ひたすら“柔”を目指すのだそうです。つまりその団体が目指す太極拳は、“柔”の太極拳ということになるでしょう。
一方、私が学んだ流儀は、“剛”の太極拳です。
力を抜くのは初心段階でのことです。そして当流では、“力の鍛錬”を行います。
もちろん剛一辺倒というわけではなく、「剛あっての柔」です。つまり剛柔併せ持った太極拳を目指すのです。

古伝の太極拳にはそういった鍛錬があったという話を聞いたことがありますが、健康法として栄えたせいか、武術としても、太極拳には、ほぼ柔一色のイメージがつきました。

当流の場合、鍛錬法に関しては王樹金伝のものではなく、“K拳”という別派の拳法から取り入れています。
技の理においても、そのK拳によって発展させた部分が大きく、また、日本の古流武術からも影響を受けています。
――と言っても、共通の部分も多く、被るところは、どちらかのより良いかたちを選択しながら技を整えてきた、と思っていただければ結構です。

もし“柔”をウリにしている太極拳をやっている人から、
「そんなの太極拳じゃないだろう?」
と言われたら、特に返す言葉はありません。
しかしながら、本当の太極拳とは何だろうか、その人は本当の太極拳とやらを使えるのだろうか、と思ってしまいます。
私が修行するのは、私が習った太極拳であり、私が思う太極拳です。

そしてまた、どんな流儀も、一度でも人に伝わった時点で、元のままのものではあり得ません。
それは極端としても、多くの人が理想とする太極拳の戦い方が、イメージの中だけで一人歩きしているものでは無いと、きちんと身をもって証明できる人がどれだけ居るでしょうか?

ともかく、伝統と称して体操のようになってしまった太極拳や、武術と言いながら「型」と「推手」が主な稽古というような太極拳を習いたい人は、それはそれで自分の道を行けばいいと思います。
しかしそういったものに疑問を持っていて、違った答えを探している人は、私と一緒に別の道を探してみてはいかがでしょうか?

ただ、私にしてみれば、たまたま深くやったのが太極拳や西郡先生の武術ではあるのですが、その流儀では別に“本当の太極拳”など追求していなくて、より使える“武術”を追求していました。私自身もその方向性に共感を感じて習ってきました。
もし「源流」や「伝統」や「正統」……などという言葉に拘って、名のある中国人老師に学んでイメージ通りの太極拳を目指したいというのであれば、そういう人には当流のやり方は向かないと思います。

 

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